のらくら-まつかわつながる案内所-

2025.02.12

農業最高!
Uターンで叶えた、若き野菜農家の挑戦

Profile
金田悠(はるか)
職業:農薬・化学肥料に頼らない野菜の生産・販売
Uターンした年・月:2022年11月
Uターン前の住所:愛知県
家族構成:家族と同居

松川町で有機栽培の野菜と向き合う、「金田農園」の金田悠さん。知識ゼロから独学で農業を学び、地域の学校給食や県外の商業施設内の産直コーナーなどへ野菜を届けています。金田さんが農業に興味を持ったきっかけ、SNSをフル活用する情報発信、日々の仕事内容についてお話を伺いました。

幼少期や思春期の経験、そして松川町にUターンした経緯を教えてください。

幼少期は家族と豊丘村で暮らしていました。 小学生時代「松川少年少女サッカークラブ」に所属していたので、 中学に上がるタイミングで松川中学校に転校し、 松川中学校のサッカー部に入りました。 基本は父の実家でもあり祖父母の暮らす松川から通っていたんです。 赤穂高校でもサッカー部に所属、 東海学園大学に進学してからも、 フットサル部で汗を流していました。学校生活はサッカーと共に過ごしてきた感じです。学生時代は自分が農業をやるなんて考えてもいなかったです。

大学では保健体育の先生になろうと教員免許を取得したんですが、 大学4年生の教育実習中に農業と出会いその思いが変わったんです。

大学時代、 友人と2人で愛知県から四国に自転車の旅をした時、 いくつかの県の中で、 愛媛県にとても魅力を感じ「ここで教員になりたい」と思い、 教員採用試験を愛媛県で受けました。

1次試験合格!2次試験の結果待ちのタイミングで、 教育実習のため帰省しました。当時はコロナ禍で約2 ヶ月間という長い時間がありました。「何かできないかな」と考えていた時、 以前、祖父母が果樹をやっていて使わなくなった草まみれの畑が目に入って、「ちょっと野菜でもつくってみようかな」と思い立ち、ほうれん草とかぶを育ててみたんです。

自分で育てた野菜を食べたら本当においしく、 「こんなおいしい野菜を毎日食べていきたい」「いろんな人に届けてみたい」と思いました。 そんな中、教採(教員採用試験)2次試験の結果が出ました。

不合格…。

先生になることができませんでした。 これまで教員になるために全力を尽くしてきたので、とても悩みましたが、これが農家になるきっかけとなりました。

ただ、 どんな形で農業を始めていけば良いのか想像もできませんでした。

そんな時、 友人が所属する会社で個人事業主として運送業個人宅配の配達を大学4年の11月から始めたんです。その期間で、 仕事場のある愛知県と畑のある長野県を毎週のように行き来し、 いずれ農業に移していこうと決めました。とてもハードな二拠点生活スタート!です笑

そこからいろいろな経験を経てちょうど2 年後に松川町に帰ってきて農家として独立をしました。

自らつくって売りにいく

ニ拠点生活時代、配達業の仕事はとても責任が大きく、「効率力・体力・接客力」に今でも繋がっていると実感しています。この頃から作った野菜を、配達業で出会ったお客さんや友人を中心に、販売を始めました。そして二拠点生活2年目、いよいよ農業で開業届を提出し、兼業農家になりました。

その年の終わりには専業農家として、農業一本になろうと決意したのを覚えています。

農業の技術はどのように学びましたか?

独学です!

研修などをしてから農家になった方が国から新規就農者への補助も出るので良いと思いますが僕は早く農家になりたかったので、完全に独学で農業を始めました。二拠点生活の2年間、そして農家になってからの2年間、野菜・果樹農家さん、ジャンルに関係なく、この人から学びたい!という方にDM(ダイレクトメール)で連絡をとり、直接会いに行きお話を聞いたり、色んな産地での実践結果や書籍を読んで、実践しながら土づくり、野菜づくりをしてきました。

有機栽培に着目したのは、松川町で取り組んでいる『ゆうき給食』がきっかけです。

漠然と農業をやりたいと思った教育実習期間に、松川中学校の先生方のお話を聞く中で、学校給食と教育の関わりや、ゆうき給食の取り組みを知り、僕でも野菜栽培からなら始められる!そして何かの形で教育に関わりたいという思いもあり、まずは学校給食で子ども達にお野菜を届けたいと思い、有機栽培を始めました。

とある日の学校給食。ゆうき給食とどけ隊のメンバーでも金田さんは学校給食に使われる有機野菜(主に小松菜)を育てている
金田さんが育てた小松菜が入ったスープ

農業を始めた当初、苦労したことがあれば教えてください。

最初はお野菜をどう販売するのかすら分からなかったので、見よう見まねで野菜セットを作ったりしていました。お野菜を作ることも大変でしたが、育てたお野菜を販売するという考え方を持つまでに時間がかかりましたし、販売してお金へと変えていくこともとても大変でした。

まだまだ失敗の連続で、調整不足や栽培技術不足で学校給食のお野菜が納品できなかったこともありました。そんな時、行政の方、学校の先生方、お野菜を配達してくださる業者さんなど多くの方々に助けられながらなんとか続けられています。

感謝の気持ちを持ちながら日々の仕事に向き合ってます。

「金田農園」の野菜づくりに対するこだわりを教えてください。

こだわり…うーん、いろいろありすぎて困りますね。

単に「栄養価が高い」といった数字で判断されるような価値ではなくて、この地で作っていて、品質にもこだわり、食べたときに心から「おいしい」と思ってもらえるようなお野菜を提供することです。

唯一無二の発信力と新しい農業スタイル

SNSでの発信を始めた理由と、発信が仕事に与えた影響について教えてください。

大学生のときからYouTubeで情報発信を始めていました。当時はコロナ禍真っ最中でしたし、教員採用試験の勉強などでひとりの時間が多く、YouTubeの動画を撮り始めました。そのなかで「農業やってみた」という動画を撮ったのが最初だった気がします。農業一本になってからは生活の大半はお野菜と向き合う時間なので、SNSに力を注ぎすぎないように注意しながらやっています(笑)

一番最初に畑に立った時からInstagramもはじめて、今では結構反応も大きくなりました。フォロワーさんは県外の方や南信地区の人たちが多いですが住む場所関係なく、いろいろなところから反応が知れるのはSNSならではです。Instagramを通じて、個人の方だけでなく宿泊業や飲食業の方とも出会え、販路拡大にも大きくつながっています。ただ、SNSでお客様とのつながりが増えたぶん、自分の時間を取られたり、距離感が近くなりすぎたりするので、そこは気を付けなければと思っています。

金田さんのInstagram【農業の楽しさ素晴らしさを】(外部サイトへとびます)

戻ってきて改めて感じた松川町の魅力

1日のスケジュール、そして松川町での暮らしぶりはいかがですか?

夏場は、朝5時半頃までに準備をして、6時頃畑に行って収穫したりしています。学校給食の出荷があるので、午前中に準備をして午後2時頃までに学校分の野菜を配達業者さんに持って行きます。その後は畑の管理や別の出荷のための収穫をして、午後7時までに配送センターに持って行きます。仕事後、夕食には自分の作った野菜が食べられることは至福の時間です☺就寝までの時間は農業に関する本などを読んだりしています。就寝は夜10時~12時頃ですね。お野菜の様子、時期によって変動はありますが。

農業は仕事とプライベートの境目もなく、生活の中に農業がある感じです。でも今は「休みはいらない」という感覚です笑。出荷のときや経理面では両親に手伝ってもらっている部分もありますが、基本は一人ですべてをやらなければならないのでそこが大変です。だけどそこが面白いところかもしれません。

松川町で好きな場所、魅力を教えてください

松川町で一番好きな場所は、 やっぱり自分の畑です。 僕はInstagram アカウントに、よく畑から見上げる空の写真を投稿しています。 季節ごとの空の移ろいがとても美しくて、山の向こうに太陽が沈む直前のマジックアワーも好きです。松川町で野菜農家をすることは、 果樹農家さんはいても野菜農家さんは多くないので貴重な存在、 ということですかね。 しかし、 地元直売所では家庭菜園で作った野菜を出している人も多く、 野菜への価格転嫁が難しいです。 ただ、 どこで何をするにしても自分次第ですよね。 最初は都会でバリバリ働きたいと思っていましたが、 いまは「田舎でも自分のやるべきことをやっていたら絶対成功できる」と思っています。 松川町にはすばらしいものがたくさんあって、そこを引き出すのも自分次第なのかなと感じています。

町外で出会った方々もいろんな形で成功している人がたくさんいることを知りました。 実際松川町に戻って来たら、この町にも農業で成功している人がいることにも気づきました。また兼業農家時代、 地元りんご農家さんに、 突然DMで「会ってお話聞きたいです!」と送ったにも関わらず、 快く自分の言葉に耳を傾けてくださいました。 農家さんが多い町だからこそ、応援してくれる人も多い。それも松川町の魅力なのかなと思います。

これからやってみたいことを教えてください。

今は多くの品目のお野菜を作っていますが、 今後は自分の強みである品目に絞って、 もっともっとこだわって作っていきたいと思います。

あと近い将来、 畑のそばに直売所を作りたいと思っています。 今は、 学校給食以外はほとんど地元で販売はしていません。 なのでお客様に直接とどけられる場を作り、 おいしいもを一番おいしい状態で提供できる環境も作りたいと考えています。

これからもこの地で長く続く農業経営をし、農業を通じ人として成長し、最高のお野菜を届けて行けるよう頑張ります。

農業最高!

(この記事の内容は取材当時のものです)